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長崎家庭裁判所佐世保支部 昭和37年(家)391号 審判 1962年11月06日

申立人 田村敏治

主文

申立人の名「敏治」を「歳霽」と変更することを許可する。

理由

申立人は主文同旨の審判を求め、その理由として、

一、申立人の戸籍上の名は「敏治」であるが申立人はここ二〇数年来「歳霽」の名を使用している。

二、申立人は現在佐世保市福祉事務所社会課社会係長として佐世保市役所に一五年余り勤務しているが市役所が発する辞令書をはじめ給与台帳等も「歳霽」と記載されており上司同僚も申立人の名が「歳霽」であることを意識し郵便物も通称を用いておる。

三、右のように通称を用いること二〇数年に及び社会一般の人は全部申立人の通称「歳霽」を戸籍上の本名と思つている関係から戸籍上の名前を使用することは色々と不便不都合が生じているので申立人の名を通称である「歳霽」と変更することの許可を求めるというのである。

ところで申立人は父田村春男、亡母アサコの長男として出生し佐世保市赤崎小学校を経て昭和一四年四月長崎県立佐世保商業学校に入学し同一八年一二月戦時繰上により同校を卒業し佐世保海軍工廠に就職し約一年六月勤めて退職し、昭和二一年一月から同二二年六月一五日まで長崎県味噌醤油統制組合に勤務し同月一六日付で佐世保市役所会計課臨時雇を拝命、同二六年四月一日付同市書記発令その後市民病院経理係長、同市福島支所係長等を経て昭和三七年四月一日同市福祉事務所社会計課社会係長に任命され現在に至つておる者であつて申立人は生来病弱のために姓名判断によつて昭和一五年頃の商業学校三年の頃に「歳霽」という通称を使用し爾来「田村歳霽」として二〇年余り一切の生活関係において行動し今日に至つたものである。

そしてこれらのことは何れも当裁判所調査官の調査報告書(陳述者申立人、佐世保市役所職員課長井上公人、申立人の父田村春男)、申立人の戸籍抄本、申立人の父田村春男の改製原戸籍の謄本、調査官の照会に対する回答書(申立人の実弟田村利弘、申立人の商業学校時代の級友山口忠好、外峰豊、金子義則、同時代の教員安永峰次郎)並びに申立人提出の疏明書類(佐世保市役所からの各種辞令、内閣、総理府、名団体等の辞令、賞状、感謝状、給与関係、税務関係、健康保険証等の名義、封書、葉書等の書簡、保護者名の通知表、その他各種辞令等の原本)等によりこれを認め得る。

仍つて本件申立が名を変更するにつて正当な事由となるかどうか考えてみるに前叙のように申立人は姓名判断に基いて「歳霽」という通称名を使用し、しかも「霽」という文字は当用漢字表にも人名用漢字表にもなくいわゆる常用平易な文字ではないけれども前認定のように申立人は約二〇年余りにわたり平穏に右通称名を使用し来たつており、申立人や家庭は勿論、公私の日常生活における関係する諸団体、職場での上司、同僚、友人等においても申立人の右通称名をもつて申立人の本名である位までに広く認識されているのであつて今俄かに申立人が「敏治」という戸籍名を使用するとすれば申立人自身は勿論前示関係者では申立人を識別する上において種々の支障を来たしいたずらに混乱をまねくことが推認されるので、申立人が「歳霽」という通称名を使用するに至つた動機が事ら姓名判断によつたものであつて、その文字の一字が常用平易な文字でないとしても、申立人が今後右通称名を使用するうえにおいて悪用することも考えられないし、なおまた「歳霽」という通称名は甚しく難解とか難読の文字であるともいえないばかりか申立人が今後も引続いて「歳霽」という通称名を公私の生活上使用する必要性が存在することが記録上認められるので結局本件申立は戸籍法第一〇七条第二項にいう正当な事由があるものとしてこれを認容し主文のとおり審判する。

(家事裁判官 立山潮彦)

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